子どもも、大人も探究して生きていく
教育の歴史を深く探れば探るほど、
もう、次の時代のことをはじめてもいい
そう感じます。
「だれでも等しく教育を受けることができるように」
それを第一に考えなくてはならない時代では
物質的な不足感を感じることも多かったでしょう。
いま、物質的に豊かになったと言われるとき、
これから視線を向けたいことは何か?
「どんな子どもでも、学校教育を受けられるように」
というよりも
「自分らしい、人生を豊かにしてくれるような学びはなんだろう?」
ということであるように感じています。
今ここの、子ども観・学習観に目をむける
子ども観や学習観も以前とは様変わりしました。
子どもは無力・未熟であり、
大人により教育されなければならない
そのように捉えられていた時代がありましたが、
その後、
生まれてすぐの赤ちゃんにも社交性や好奇心・探究心が備わっている
ということを、様々な研究が明らかにしてくれました。
学習とは大人という完成形を目指すためのものではなく、
大人になっても続いていくもの
一方的に情報を受け取るものというよりも
自分から見つけていくもの
学習観はそのように転換してきました。
子どもと大人の間に、あえて明確な線をひかない
そうした今の価値観に目を向けるならば、
子どもと大人とを
一線を引いて区別するよりも
それぞれに必要なステージで学んでいる
ともに学ぶ仲間である
と捉えることができるのではないでしょうか?
それぞれに必要なステージとは、
年齢差の出やすい
認知的な発達段階によるものもあるでしょう。
また、年齢差に比較的左右されない
精神的な発達段階によるものもあるでしょう。
子どもか大人かに関わらず、
必要なことが自分と誰かで全く同じ
ということは無いのです。
豊かさを循環させる人間を育てる
もちろん、サポートを必要する人たちが
いなくなったわけではありません。
必要人にな必要なケアが届く
ということは、大切なことです。
一方で、もっと先へ進むことを望んでいる人たちもいます。
既成概念のような枠の外に出ていきたい人たち。
そうした人たちに、
先へ進むための機会を用意していくことも
同じように大切です。
未来へ向かって先導してくれる。
そのような人間を育てていくことは、
科学・思想・哲学・経済・・・
人間社会の様々な面で
豊かさを育てていく活動です。
その豊かさがあるからこそ、
必要な人へサポートを届けることもできるのです。
ずっと続いていく、探究活動
MIT(マサチューセッツ工科大学)の提唱している
lifelong kindergartenという考え方があります。
これは、幼稚園(Kindergerten)で
子どもたちが体験している学習サイクルは
大学での研究活動や
ビジネスの世界でも同じである。
というメッセージを含みます。
子どもも、大人もそれぞれに
自分が心から望んでいること、
やってみたいと心に芽生えたこと、
それを探究していくために必要な
思考力・発想力・創造力・精神力
それらを身につけ、探究し続けることが
あたりまえに出来ていく。
それがNAGOMI MINDが目指している世界観です。