『子どもの語りに耳を傾けることは、大人が変わるきっかけになる。』〜国内外の先駆者たちからのメッセージ〜

世界には様々な幼児教育の実践があり、日本に紹介されているものも様々。
とても素晴らしくて、参考にしたいと思う反面、私たちはその素晴らしさを見つめきれているだろうか?と感じることもあります。
そんな疑問の中から、今回は「対象」をテーマに、その学びのための取り組みは、
子どもに向けられるものなのか、
大人に向けられたものなのか?
を記事にしていきながら、考えていきたいと思います。
幼児教育の研究者として、イタリアの現地視察へも度々足を運ばれている、東京成徳大学 こども学部准教授の藤田寿伸先生に、
- イタリアのレッジョ・エミリア・アプローチと、そこで展開されるドキュメンテーションの歴史と本質
- そこから見える、子どもと大人の在り方
- 日本の幼児教育にも実は存在した共通の視点
について、伺ってきました。
レッジョ・エミリア・アプローチでの「記録」や「ドキュメンテーション」のはじまり
保育の中での探究活動や、記録・振り返りは、世界で質の高い幼児教育として知られるレッジョ・エミリア・アプローチ(以下、レッジョ)の中では、かなり前から取り組まれていて、もう半世紀くらいやっているものなんですね。
で、なんでレッジョの教育者たちがそれをやり始めたかって言うと、基本的な考え方に、
「こどものポテンシャルを信じましょう」
ということが有るからなんです。
「子どもの学びや才能を引き出す」というよりは、我々大人が、それを発見しましょうよっていう姿勢で子どもに向き合う。そういうことなんです。
英語でいうとlisten、イタリア語ではascoltareという言葉が大切にされています、どちらも”意識して聴く”、つまり、子どもの声に耳を傾けてみる。
子どもたちは常に何かを発信しているんだけれども、大人はそれを受け止めきれてないよね。だから、この”意識して聴く”をしっかり実践していこうね、というのが、ドキュメンテーションのはじまりのようです。
子どもが夢中になってやっているところに、参与観察で入っていくと、そのプロセスを通して、子どもからいろんなものが受け取れるんじゃないかって、そういうことだったんですね。
ものすごく崇高な考え方ですけど、それを実際にやるのは大変だったろうなと思います。彼らも手探りしながら、実践していった過程で生まれたものじゃないかと。
観点・意見は違っていい。違う方が良い。
おもしろいのは、ドキュメンテーションはまとめる人によって視点が違っていい、意見が違っていいんだということです。
この子は「集中力がない」とか、「止まらない」っていう風に見る人もいるかもしれないし、いや、この子は「いろんなことに興味があるんだ」という風に見る人もいるだろうし。保育者の中で、子どもに対する観点が色々有ったほうがいいと考えられているんです。
保育者の間で議論が起きるほうが、子どもの理解は深まるだろうと。イタリアの人たちって、おしゃべり好きなので(笑)。
むしろ、ある意味大変なのは、先輩の先生の言う事を素直に「ウンウン」「そうなんだ」ってそのまま理解して、子どもに向かうんじゃなくて、1年目の先生であっても「あなたはどうなの?」って聞かれることですね。
そこで、自分のなかでひねり出して、「私はこういう風に感じました、見えました」って伝えていく必要があります。「なんでそう感じたの?」っていう風につっこまれながら、自分の意見を言いながら、いろんな人たちと、いろんな経験の中で、「ああ、こういうことかもしれないね」っていうことを深めていく。
そのときの、エビデンスになるものが記録=ドキュメンテーションです。
小さな子どもたちの”言葉ではない語り”に耳を傾ける。
それから、子どもたちの造形活動って、そのものが語るじゃないですか。言葉じゃないところで語ってくれるところがすごくあるなって。

「和らぐアート」での子どもたちの造形活動
レッジョでは、かなり早い時期、少なくとも30年以上前からから8ミリビデオを回したりとか、テープレコーダーで音声を記録して、写真ももちろん撮っています。
初期の資料を見たら、彼らは園の中に現像室を持っていたんですよ。当時は、白黒の写真を撮って、それを現像して、その記録から「子どもたちはこんなポテンシャルがある」って対話する、そういう時代だったんですね。
レッジョのリーダーだった方は元々、発達心理を学んでいて、発達心理学者ピアジェの影響も受けていたようなので、かなりそうした(言葉じゃない語りについての)意識が有ったみたいです。
ノンバーバルな、芸術的な子どもの表現というものに注目しましょう、と。何が出来るようになったかじゃなくて、そこに詩的な、ポエティックなものがどれだけあるかって。それを彼らは「こどもたちの100の言葉」と言います。
なので、レッジョの資料を見てすごく感じるのは、
<子どもをどう変えるかっていうよりも、我々がどう変わっていくか>
ということ。自分たちが変わる。そうすることで、子どもも変わっていくことなのかなって。
そういう考え方を日本国内でも感じることはありますね。
例えば、レッジョの幼児教育において長らく中心的な役割を果たしてきたリナルディさんが書籍に書き残していることと、お茶の水女子大学名誉教授の津守真先生が書いていることがすごく似ている。
それは、子どもとの関わりを振り返ってみるということは、保育者が変わるきっかけになるよということです。やっぱり日本でもそういうことを考えている方は、昔からいらっしゃるんだなって思います。
津守先生の本の中には、造形の方から見ているものもあるんですよね。子どもの描画と日々の生活が主なテーマになっていて。子どもたちは、自分の表現を、どういう思いで行っているのかっていうことが書かれています。
津守先生は障がい児保育の先駆者でもありますけれど、コミュニケーションがままならない子どもと、どう関わっていくかっていうことを、すごく真剣に書かれていて。著書を読んで、私なりにすごくレッジョに通じるものがあるなって思いましたね。
私たちNPO法人が設立時から変わらず中心に据えていることは「大人が変わることで、子どもたちの幸せや学びがうまれていく」ということ。
それは、国外からの先進的な事例からでなく、国内においても古くから大切に見てきた先人たちが居た。
藤田先生とのお話から、そのような嬉しい発見をいただきました。
次回は、私たちの実践している大人と子どもが学ぶ、園でのアート活動「和らぐアート」の講師、福田たかゑさん(たかちゃん)との対談形式で、子どもたちの学びと大人の在り方、造形がつくる価値についてお届けしていきます。
プロフィール
藤田 寿伸 先生
東京成徳大学 こども学部 准教授
東京成徳大学子ども学部准教授。
1965年生まれ。
多摩美術大学卒業後、企業勤務をへてイタリアでデザインを学ぶ。
その後、幼稚園教員免許を取得し保育者として十年間勤務。
退職後、東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科博士課程でイタリアの芸術家ブルーノ・ムナーリを研究し博士号を取得。
現在は保育者養成に関わりながら、ムナーリやレッジョ・エミリアなどイタリアの創造的な子どもの教育を研究している。)
【参考文献】
- 『レッジョ・エミリアと対話しながら』 カルラ・リナルディ、里見 実 訳、2019、ミネルヴァ書房
- 『子どもの世界をどうみるか』 津守真、1987、日本放送協会


