保育者の多様なキャリア
「保育はめちゃくちゃ楽しい仕事」と伝えたい
現在、保育士として働きながら、大学院で研究活動をしている“かずませんせい”。自身の経験や学びを届けるSNSは、若手の保育者さんや、保育者を目指す学生さんを中心に人気があり、フォロワー数は2万人を超えるものも。
私たちのイベントにも講師として協力してくださる中で、「子どものことは何でも知っている人になりたい」「もっともっと学びたいことがある」等々、お話している姿を拝見してきた、かずませんせい。
大学院での研究も2年目に入った先に、どんな未来を描いているのでしょうか?じっくりお話を伺っていくインタビューシリーズを今回よりお届けしていきます。
初回となる今回は、かずませんせいが保育士1年目として働き始めたときのこと。そこから、今の活動につながる心の変化などを伺っていきました。
保育者1年目、就職した地元幼稚園での驚き
――かずませんせいは、地元(青森県)の短大で、保育者さんになりたい人が通う学部に通っていたんですよね。実際、どうなんですか?みんな卒業したら、保育者になるんですか?
かずませんせい なります、なります!ほとんどが幼稚園教諭・保育士、たまに児童養護施設に就職。なるのは、なります。
――なるほど、「なるのは、なる」深いですね。で、かずませんせいも、なるのは、なったんですね。最初は保育園に勤めたんですか?
かずませんせい 幼稚園です。
――働いてみて、どうでした?
かずませんせい めちゃめちゃ楽しかったです!!!
なにこれ??っていう楽しさ。本当に楽しかった。日々の保育は楽しくて、他の先生たちも人がよくて、子どもはかわいいし、保護者ともいい関係を築けているし….、超楽しかったです!!!
達成感しか無かった。
――その幼稚園には4年間勤めたんですよね。辞めた後は?
かずませんせい 上京して、大学に3年次編入しました。
――じゃあ、やりたいことがあって辞めたんですね。嫌だから、とかではなくて。
かずませんせい 辞めたくなかったですね。でも、僕は昔からやんちゃなところがあって、もう興味関心が尽きないので、やりたいと思ったことに対して、動き出してしまうんですよ。そこにとどまる楽しさよりも、「他でも学びたい」が勝っちゃったみたいです。
退職するときは、本当に心苦しかったです。でも、快く送り出してくれて。
保育者を一人育てるのに、数百万円単位のお金がかかりますよね。それなのに数年で辞めてしまうって、園からしたら危機ですし、人手不足にもつながります。なので、どうするか悩んでいて。
でも、その園にずっと勤めるのも恩返しにはなると思うんですけど、外側に出て、何かしらのことをするのも、この園のためになるのかなって考えました。
例えばの簡単な話ですよ、養成校の先生になり、学生を斡旋したりだとか、いろんな園を見て、それでもこの幼稚園がいい園だよってことを周りに伝えるとか。いろいろな恩返しの仕方があるのかなって思って、その旨も伝えました。
なので、良好な関係で退職して、今でも地元に帰ったら遊びに行きますし、プライベートで「お家に来なさい」と園長が言ってくれたりして。だから、悪い思い出はあったかな?っていうくらい。
些細なことはありますよ、ミスしちゃったり。だけど、総じて本当にいい幼稚園で、今でも大好きな園ですね。
楽しさしかなかった保育よりも、興味の湧いたやりたいこととは…?
――大学は何を学ぶために進学したのですか?
かずませんせい まず、僕、東京に行った理由って、「都内の保育園・幼稚園を見たい」だったんですよ。
でも、そこの園に働きに行ってしまうと、休日とかって作れないじゃないですか、なかなか。なので、大学でちょっと理論を学びながら、園見学に行きたい、っていう考えでした。大学の勉強よりは、まずは現場を見たいっていう気持ちで来たんです。
――なんで、都内の園を見たかったんですか?
かずませんせい 地元の幼稚園に勤めている4年間で、もし、明日この園が無くなったら?保育者としてやっていけるのかな…?って思ったんですよ。「力不足じゃないかな?」って。
いろんな保育スタイルがある中で、保育園・幼稚園・こども園があり、客観的に僕を観たときに、どこのレベルにあるんだろう?って、園見学をスタートしたんですね。22歳のときでした。それで、沖縄の園にアポを取って、直接現場を見てみたりとか。
――自分で直接ですか?!
かずませんせい 自分で直接探しましたね。ホームページを見たり。びっくりですよね、電話を受けた人は。「青森の保育士です」「見に行っていいですか?」って。
「ど、どうぞ」っていう感じで受け入れてくれましたけど。そんな感じで園見学を始め、そこで思ったことが、地域性があるなってことだったんです。
――ちなみに、沖縄以外にはどこへ行ったんですか?
かずませんせい 北海道、山梨、秋田、盛岡は見に行ってましたかね、当時の時点で。
――エリア的には、東北が中心ですけど、それでも全然違いますか?
かずませんせい 全然違いますね。
ていうのは、当時の感覚でいうと「地域性」って言葉でまとめてますけど、結局、青森でもどこでも、園によって違うんですよね。あとは、やっぱりその土地の自治体によっても差は大きいですよね。
沖縄なんかは特殊でした。沖縄は沖縄でした。就学前になったら、5歳児になったら行くのが幼稚園。4歳までは保育園。プレスクール的な考えが強いので、沖縄は本当に特殊ですね。
かたや東北といったら、環境が全然違いますよね。園庭の保有率とか、雪があったりとか。自然にあふれている地域、あまり触れられない地域、どっちがいいとかは無いと思うんですけど。
22歳当時なので、全然データに基づいていない肌感覚ですけど、そういった、地域の差は感じました。
でも、「俺、全然東京見てないじゃん」って。この国の首都ですよね。一番大事な中心を見ないで、語れないよな、地域性をって思って。じゃあ、東京を見に行こうって思い、上京を考え始めました。そこから大学進学に至るまでに、大事な恩師の存在があったんですよ。
私たちもはじめて伺った、かずませんせいの保育者1年目のこと。
このインタビュー企画は、若手の保育者さんを勇気づけるものになってほしいと考えていたこともあり、「1年目の大変さを乗り越える話が聞けるかな?」なんて期待をしていたところ、その期待を超える「楽しさしか無かった」という話が出てきました。
でも、今までイベントなどを通して見てきた子どもと触れ合う姿から想像すれば、大いに納得で、かずませんせいにとって本当に天職だった、ということなのだと思います。
もちろん、かずませんせいは特別かもしれません。でも、誰でも「楽しさでいっぱい」の保育者になれる。そのことを、この連載記事を通して届けていきたいと思います。
インタビュアー:西 由紀子
写真/文章:塚田 ひろみ
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