【インタビュー】研究者であり、現役保育者である“かずませんせい”のキャリアパスVol.2

保育者の原点・動機
保育者として「自分の道」を進むと決めたとき

前回のVol.1では、かずませんせいの保育者1年目の体験から、楽しさしかない幼稚園の職場を離れてでも「学びたい」という、好奇心の向かう先へ方向転換するまでを見てきました(前回の記事はこちらから)。

東京でいろんな園を見たいという想いと、当時、漠然と抱えていた「保育者として力不足なのではないか?」という不安。

その両方の想いにつながる道を見せてくれたのは、短大時代の恩師なのですが……。

今回は少し遡って、幼少期から、恩師に出会うことになる、短大進学までのお話を伺っていきたいと思います。

 

とにかくやんちゃだった幼少期

――青森でお生まれになったと思うのですが、家族構成はどんな感じだったんですか?

かずませんせい 母と父、兄がひとりで、四人家族ですね。幼少期は、祖母と祖父とも一緒に暮らしていました。

 

――みなさん青森出身ですか?

かずませんせい みんな青森出身です。父も母も。生粋の青森っ子ですね。

 

――どんな幼少期だったんですか?

かずませんせい やんちゃでしたねー!

 

――本当ですか?!人って変わるんですね??

かずませんせい 本当に落ち着いていられないというか。

人に意地悪したり、パンチしたりっていう落ち着きのなさではなくて、「仮面ライダーかっこいい!シャキーン」とか、「ジャンプしてやる!ジャンプー!」という感じで。

 

――はつらつとした子ですね。

かずませんせい はつらつでしたね。今思えば、可愛いかったなぁというか、可愛らしいというか、なんというんだろう……?

 

――子どもらしい?

かずませんせい そうですね。当時はそんな様子だと、怒られたりするので……保育園でも、お兄ちゃんにも、親にも。当時は「えー?」(なんで怒るの?)って思ってたけど、今思えば、子どもらしい子どもだったんだなって思いますね。

想像力があまり働かなかったのか、怒られたら「もうやだっ!」って言ってガラス扉とかを蹴って、ガラスが割れて、破片が刺さるみたいな……。

 

よく病院とかに、いまでいう『コロコロコミック』とか『ジャンプ』とか雑誌が置いてありますよね。小児科に行くと、子供向けの『てれびくん』とか『ようちえん』とかの雑誌があって、そこに付録がついているじゃないですか。それって、もらって良いんだと思ってて(笑)。

 

まだ付録が入っているのを見つけると、「やったー!」「これもらってくー」とポケットに入れて。当時は、それが悪いことだとか、善悪の感覚が無いんですよ。もらっていいと言われたら、良いもの、というか。欲望のかたまりだったので(笑)。

 

それで、病院の受付の方が、「えっと、、うん、(持って帰っても)いいよー」と言ってくれて、そこで母は「もう、すみませんー」って言うんですけど、家ではめちゃめちゃ怒られるみたいな。

 

母はすごい、しっかりしたお母さんでしたね。当時は色々やらかして、周囲から注意されて学ぶという幼少期で、今思えばそれがよかったのかなって。年齢に伴って少しずつ落ち着いては行きますけど、高校・短大まではすごく元気な子でした。

あこがれ・安心だった「兄貴の道」から、「自分の道」を探し出す

――クラブ活動・部活などもやっていたんですか?

かずませんせい 小学校4年生から野球部に入っていました。スポーツは大好きだったので、保育園に通っていた頃から鬼ごっこ、かくれんぼ、けいどろ、虫探し……ゲームとかもあまりせず。すぐに外に出て、雪で何か作ったり、そり遊びをしたり、スポーツとか身体を動かすのは好きでした。

その流れで野球部に。兄の影響もあるんですけどね。

 

――中学校でも野球部に?

かずませんせい 中学校からは、これまた兄の影響が強くて。当時『スラムダンク』を親の影響で読んでいて、「おもしろ!」ってなって。兄もバスケ部に入っていた影響で、中学校からバスケ部に入り、中・高と続けてきました。

短大では部活動は無いですけど、遊び程度にやっていて、そこから社会人でもプレイして、23〜24歳までは本当にずっとやっていましたね。

幼稚園に勤め始めてからも、勤務が終わったら、その後ナイターに行って、という生活でした。

 

――元気ですね!保育士さんや幼稚園の先生って、仕事の後はもう疲れちゃってバタンと、家でもう倒れこむみたいなイメージがありました。

かずませんせい 体力的には限界なんですよ。ただ、バスケをすることによって精神的な負担が和らいで、トータルでいったら良くなってるかなって感じですね。普通に考えたら、仕事の後に体力使うなぁ、と思うけど、リラックスになるじゃないですか。

 

――お兄さんの影響は結構受けてるんですね。仲は良かったんですか?

かずませんせい めちゃめちゃ仲良かったですね。小さな頃から本当に弟思いで、熱出したら看病してくれたり、すごい優しくって!

兄はもともと落ち着いているんです。で、自分はやんちゃなので、何かと迷惑をかけちゃうことが多くて、「傘貸して」って貸した傘が壊れて返ってくるし(笑)、「ゲーム貸して」って言われて貸したら、カセット反対に入れて、取れなくなって返ってくるみたいな……。

 

――お兄さんは今、何をしていらっしゃるのですか?

かずませんせい 地元(青森)で働いています。僕も兄も工業高校を出ているのですが、高校も一緒のところに行ったんですよ、兄と。やっぱり意識しているんでしょうね。あこがれじゃないですけど、「兄貴の道」というのが安心できるというか。

今ここで、色々と活動できているのも兄のおかげで、兄が実家の親の近くにいてくれているから東京に来られているところもあって。まぁ、それがなくても、親は行ってこいとは言ってくれると思うんですけど。帰ったら、絶対一緒にご飯も行くし、ドライブもするし、逆に兄がこっちに来たときは一緒に色々巡ったりもするし、すごくいい関係です。

 

――なるほど。で、そのかずませんせいが、なぜ、保育者に?高校はお兄さんと同じ工業高校。でも、その後は短大で保育を学ぶ。そこにはどんな経緯があったのか…超、気になるんですけど。

かずませんせい そこですよね。そこは、今まで話してこなかったこともあるんですけど……。

 

いよいよ高2くらいになると就職を考えるようになり、進路指導なんかもあって。みんなも求人票を見て、どの企業を受けるか?と考え出していて。

 

高卒で就職する人が多いですよね、工業高校って。でも、結構名のある企業には行けて、今の時代、学歴も大事だけど、工業的な実践力が求められる分野では、みんな良い企業にどんどん内定をもらっていったんですよね。

 

それで、自分も真剣に考えなきゃって求人票を見たんですけど……。

なんかこう、ピン!とこなかったんですよね。

空調直すとか、水道整備とかってことが。

自分の置かれた環境を超えて、「好きなこと」に向き合う

 

かずませんせい 「工業高校に来た以上、就職しなくては。」

「親への恩返しのためにも、早く社会に出て稼ぎたい。」

そんな気持ちもありながら、ただ、

 

「自分がそれで満足するのか??」

 

って。

 

焦りもありましたし、悶々とした時期を過ごしていました。

 

その頃、授業で溶接とかやるわけですよ。それで、先生に出来上がったものを見せたら、「おぉ、上手だな!」って言われて。普通だったら、「よっしゃ、嬉しい」って思いますけど、嬉しい反面、

 

「これ、仕事にするのか……?」

 

って思っちゃったんですよ。

 

「これで、俺、満足するか??」って。

それで、自分は何が好きなんだろう?って考えたときに、子どもだったんです

 

――えぇ!先生から「上手い」って褒められたときの違和感から、瞬時に「子どもが好きだ」って思ったんですか?それとも、少し寝かせて?

かずませんせい 少し寝かせてですね。これが契機になって、長く考える期間がありました。

仕事のことは考えず、純粋に「何が好きなんだろう?」って自分を見つめ返したときに、歌と子どもだったんですよ。

元々、歌は当時からめちゃめちゃ歌ってて。

 

――カラオケとかですか?

かずませんせい それもですし、ちょっとした地元の大会で賞も貰っていて。

歌が好きだな、オーディションとかも受けてみたい。

それから、子どもが好き。この2つでした。

 

ただ、仕事っていうところで、色々考えたのと、これ初めて言うんですけど、『週刊少年ジャンプ』に影響を受けたんですよ。当時、毎週読んでたんですけど、『クレヨンしんちゃん』みたいな、幼稚園児のギャグ漫画があって、それがもう本当におもしろくて!

 

――その漫画って、なんだか覚えてますか?

かずませんせい 『いぬまるだしっ』って言うんですけど。ズボンをね、履いていない「いぬまる君」っていう子どもが出てくるんです。

 

ジャンプって、『ワンピース』とか、『NARUTO-ナルト-』とかって長く続くんですけど。でも、ギャグマンガってなかなか続きづらいですよね。それでも、何年間も連載して、異例だったんですよ。本当に可愛くって!

 

幼稚園の先生と、いぬまる君とのやり取りの漫画で。当時は全巻揃えていて、作者さんにも、そろそろ連絡しようかなって思ってるくらい。

 

それがもう、ひとつの憧れだったんですよね。今思えばばかばかしいというか……。漫画に憧れを抱くなんてね。

 

思えば、友だちの弟や妹とかのお世話をするのがすごく好きだったんです。小学生くらいの頃から本当に「かわいい、かわいい!」って、可愛がってたんですよ。抱っこしたりとか、わちゃわちゃしたりとか、お祭りに連れて行ったりとか。

 

「面倒見がいいね」なんて友だちの親からも言われたりして。昔から子どもが好きなんだなって気がついて。なんでそんなに子どもが好きなんだろう?って考えたら、僕、一番末っ子なんですよ。末っ子っていうのは、兄弟は二人ですけど、従兄弟も全員年上で、可愛がられていたんですね。

 

でも、可愛がることがなくて、下の子の面倒を見たいっていうあこがれもあり、それが子どもが好きに繋がったんでしょうね。

 

そこで、歌ではなくて子ども、となりました。

 

歌は、まあ現実的な話、可能性は高くはないし、働きながらも挑戦は出来るじゃないですか。そんな簡単な話じゃないですけど。

 

子どもに関わる仕事という選択肢の中で、体育の教師か、保育園や幼稚園の先生かで二分されたんですが。でもここの決断は早かったですね。体育の先生は、自分が体育が好きだからって言う理由で、保育者の方が、より子どもと関わる時間も長かったり、生活をともにするということで様々な面でのやりがいを感じられるのかなって。

 

ということで、「保育者を目指そう」と地元の短大を受けることを決めました。

 

――周りから「そ、そうなの?」「珍しいですね」とかって言われません?

かずませんせい そうですね、「珍しいね」とか「保父さんだね」とか。なんなら担任の先生には三者面談で怒られましたし(笑)。

 

僕、その当時の記憶が定かではないんですけど、母曰く「和馬にはどこでも紹介出来る進路を用意してたのに。ここの段階で変えちゃって、、何言ってるんだ?」くらいのことを言われてたって。当時は何言われたか覚えてないですけど。。

 

――でも、親御さんは「好きなことだったら」って言ってくれたんですね?

かずませんせい もう、本当に応援してくれましたね。不安というか、給料の現実的な面とか、教えてくれるタイミングはあったけど、でも、否定とか、「こうなんじゃない?」とかって諭したり、説得するということは無かったですね。何やるときもそうなんですけど、「子ども好きだもんね、和馬」って言ってくれて。

 

――あぁ、じゃあ親御さんが納得だったんでしょうね。

かずませんせい すごい、それが嬉しくて。当時は、普通に「うん」って感じでしたけど(笑)。自分が親になったとして、子どもが、男の子が「保育士になる」ってなったら、、ちょっとはやっぱり、「お、そうなの?」くらいの感じは無くもないだろうなと。

 

それで、そのまま地元の短大を受験し、無事に合格して入学となりました。

 

――上京を決めるときに、背中を押してくれた恩師とはそこで知り合ったんですね?

かずませんせい あぁ!!そうです、そうです!!伝説の出会いが(笑)。

 

Vol.3へつづく


今回は、かずませんせいの原点でもある幼少期にフォーカスしてお話を伺ってきました。憧れのお兄さんの後を追う幼少期、そこから、自分の道を進む、その決断の時期に差し掛かり、感じた違和感。

その違和感に蓋をせず、焦りを感じながらも、しっかりと時間をかけて向き合ってきたことが、大事な人・大好きな仕事との出会いを引き寄せたのだなと思います。

 

「自分を満足させてあげられるか?」

 

この、少し客観的に自分をみつめること、自分を低く見積もらない姿勢。それは、なかなか持ちにくい視点かもしれません。でも、自分らしく働くために、自分らしい保育を実践するために、大切なことだと思います。

 

今回、「はじめて人に話す」ということも、包み隠さず教えてくれた、かずませんせい。次回は、いよいよキャリアに影響を与えてくれた恩師とのお話を伺っていきたいと思います。

 

インタビュアー:西 由紀子
写真/文章:塚田 ひろみ


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